世界には日本を好いてくれる親日国がいくつか存在します。その数、実に約60カ国超……中には日本と深い縁で結ばれた国もあり、涙なしには語れない感動の秘話まで残っていたりします。魂が揺さぶられる絆の物語には思わず胸が熱くなるほどです。
今回は世界の親日国ランキングを作成しました。ここでは日本の友好国をランキング形式でトップ20まで掲載しています。併せて、なぜ友好国として国交を深めるに至ったのか、その感動の理由やエピソードもまとめます。ぜひ旅先選びにもご活用ください。
親日国について知れば知るほど「日本もまだまだ捨てたもんじゃないな」と思えるかも。
この記事では「世界の親日国ランキング」「日本好きな友好国となった感動の理由とエピソード」をまとめるよ!
1.親日国がおすすめな人
まずは親日国がおすすめな人を見ていきましょう。
- 日本が好きな国を訪れてみたい人におすすめ
- 現地の人と交流したい人におすすめ
世界には日本に好感を持つ国、いわゆる親日国が約60カ国超あると考えられています。好意は国単位ではなく人単位で変わるため、一様に日本が愛されているとは言えません。ただ、中には「日本が好き」と熱烈なラブコールを送ってくれる国も存在します。
その手の親日国を旅することで、新たな発見もあるかもしれません。
では、日本に親しみを覚える国はどのような背景から好意を抱くに至ったのでしょうか。ここでは外国人が思う日本の好きなところを一部掲載します。
- 四季がある
- 温泉がある
- 都会が清潔
- 自然が綺麗
- 歴史が深い
- 文化が広い
- 治安が良い
- 商品の質が良い
- 交通の便が良い
- スポーツが強い
- サブカルが楽しい
- 日本食が美味しい
日本には美しい四季があり、癒しの温泉もあります。都会や自然が豊かで歴史や文化も色濃く治安も良好、世界中で愛用されるメイドインジャパンの製品やインフラの整備、スポーツやサブカル、世界無形文化遺産の和食など……外国人を魅了する要素は無限大です!
特にポップカルチャーでは日本独自のアニメや漫画が絶大な人気を誇り、日本発祥の有名なゲームも支持されています。近年ではユニークな音楽やファッションなどが評価され、ジャパニーズカルチャーに惹かれる外国人も珍しくありません。
それでいて礼儀正しく規則正しく、親切で丁寧で真面目で勤勉、柔和で温厚という日本人の気質も好感触です。もちろん、血気盛んに暴れ回っていた戦時中は別として……。
他にも時代背景から親日感情が芽生えた国もあります。日本の独立解放や開発援助、経済協力や奉仕活動などに感銘を受けている国も多く、時代は違えど日本の功績を認めてくれている国も少なくありません。ある種、憧憬の念が親日感情を育む土台となっているわけです。
世界には親日国がたくさん存在するんだね!
日本が好きな国を訪れてみたい人や現地の人と交流したい人には親日国がおすすめかも!
2.親日国ランキング
ここからは親日国ランキングをまとめます。
当ランキングでは日本への尊敬の念だけでなく、友好国となるに至った珠玉のストーリーや裏話も加味して選定しています。
- 台湾
- トルコ
- パラオ
- イスラエル
- ポーランド
- フィンランド
- タイ
- インド
- インドネシア
- マレーシア
- ベトナム
- フィリピン
- アルゼンチン
- ブラジル
- アメリカ
- カナダ
- パキスタン
- ウズベキスタン
- モンゴル
- フランス
- 外務省:海外における対日世論調査
- 祥伝社:世界はこれほど日本が好き
- 新星出版社:ビジネス教養地政学
- 東洋経済新報社:13歳からの地政学
- 三笠書房:「あの国」はなぜ、日本が好きなのか
- その他の調査機関
- 管理人の実体験
親日国ベスト3は台湾・トルコ・パラオです。総じて日本に対してはアジア・オセアニア・北米・中南米・ヨーロッパ・中東・アフリカなど世界中の国々が良い印象を持っています。
では、さらに詳しいランキングを見ていきましょう。順位や星は管理人の独断偏見・趣味嗜好が含まれるものの、特定の国を差別・贔屓する意図はございません。
1位.台湾
- 親日度:
台湾は日本と相思相愛の国です。現地の随所に日本への愛が溢れており、旅をすればその親日ぶりに驚かされます。もはや親日ならぬ萌日だと実感するほど、世界で一番親日的な国です。
1895年~1945年の約50年間、台湾は日本の統治下にありました。当時は反日感情もあったものの後藤新平のインフラ整備による交通の近代化や八田與一のダム建設による産業の活性化を受け、次第に親日感情へと変化していきます。時代は帝国主義、彼らは旧大日本帝国のために働かされただけかもしれません……ただ、台湾はその功績を今でも称えてくれています。
それだけでなく、2011年の東日本大震災の際には総額200億円にも及ぶ義援金を贈ってくれました。これは震災直後の寄付金としては群を抜いて世界一、加えて台湾は救援物資や現金配布など未曾有の大災害に見舞われた日本にいち早く駆けつけてくれたのです。
当時の蔡英文総統も「我々は世界に向けて、台湾と日本はいつまでも固く結ばれている隣人だと伝えたい。台湾人と日本人は心と心で深い繋がりを築いています。その絆こそ台日関係の最大の原動力です。いつまでも日本を応援しています!」と表明してくれています。ちなみに、この言葉は日本語で書かれたものだったとか。
これこそが台湾の日本に対する愛の深さです。まさに台湾と日本はこれからも手を取り合って歩むべき国と言えるでしょう。
台湾には「哈日族」と呼ばれる熱狂的な日本オタクの若者もいるよ。
逆に日本統治時代の高齢者は日本嫌いな人も……世界は複雑だね。
2位.トルコ
- 親日度:
トルコと日本は古くから“助け助けられる関係”を築いてきた国です。旅をすれば「一緒に写真撮ろう」と声をかけられ、笑顔で「日本が好き」と肩を組んでくれるほどの世界有数の親日国です。
オスマン帝国時代の1890年、両国の関係を深める出来事が発生します。当時、約600名超の使節団が乗船するエルトゥールル号が台風に遭遇、大島村樫野崎付近で座礁・沈没してしまいます。事件発生当初の状況から安否は絶望的でした。
しかし、地元住民の献身的な救助・介抱により約69名の船員が生き延びたとされています。その後、遺品を送還しただけでなく、2年後には山田寅次郎の発案で募金活動も始まり、約5,000円(現在価値約1億円)もの大金が贈られることとなりました。そのお金は生存者本人だけではなく遺族にも配られ、事件以降トルコは日本にずっと恩を感じているのです。
両国の友情はそれだけにとどまらず、トルコがロシアの脅威に苦しむ中、日本が日露戦争に勝利したことも親日感情に影響しています。鎖国解禁から数十年足らずの小国が大国に勝利した奇跡の一戦は、当時のトルコ人に多大な衝撃を与えたそうです。
そして、イラン・イラク戦争が勃発した1985年、今度は日本がトルコに救われることとなります。当時、イラクのフセイン大統領がイラン上空を飛ぶ航空機を無差別攻撃すると宣言……猶予はたったの48時間、日本は飛行機を配備できるはずもなく現地に約215名の日本人が取り残されてしまいます。その節、救援機を出動してくれたのがトルコのトゥルグト・オザル首相率いるトルコ航空だったわけです。彼らは撃墜される危険を顧みず、命を賭して日本人を守ってくれました。
この事件について日本が感謝の意を伝えると、トルコの方々は「我々はエルトゥールル号事件で受けた恩を忘れてはいない」「今が100年前の恩返しをする時だ」と言ってくれたのだとか。
その後の2013年、トルコ長年の夢だったボスポラス海峡横断トンネルの施工を日本が手伝うなど、両国の関係は今も良好と言えます。
窮地で助け合える親友、それがトルコ。こんなに頼もしい仲間は他にいない。
トルコの人々はフレンドリーな国民性もあって打ち解けやすい。
3位.パラオ
- 親日度:
パラオと日本は古くから“寄り添い合う関係”を保ってきた国です。旅をすれば「日本人は大歓迎だよ」と招かれ、笑顔で「よく来てくれたね」と受け入れてくれるほどの世界屈指の親日国です。
もともとパラオはドイツの植民地でしたが、ドイツが第一次世界大戦で敗れたことをきっかけに日本の委任統治下に入ります。その後、現地に干渉しなかったドイツに対して日本は発展に着手し、医療機関や教育機関が運営されるようになります。それによりパラオの生活も各段に向上したそうです。
当時は日本の統制事業の一環として近代化が進められたものの、その影響も相まって現地には日本の風習が定着したとされています。現地には未だにアジダイジョウブやツカレナオスなど日本語から生まれたパラオ語もあり、デンキやデンワ、センプウキやチチバンド、センキョなどの単語が使用されています。中には和風のあだ名を持つパラオ人もいるのだとか。
なお、パラオ国旗は青い海と黄の月を模しており「白い空と赤い太陽の日本国旗に寄り添うように」との願いが込められているようです。これは国民投票で選ばれたもので、日本との友好を意味しています。
2015年には天皇皇后両陛下が太平洋戦争で激戦地となったパラオを訪れ、その際にパラオの方々は「パラオと日本は友達」と出迎えてくれたそうです。その言葉が両国の関係を物語っています。
常に寄り添い合う友達、それがパラオ。こんなに近しい友人は他にいない。
パラオの人々は陽気な国民性もあって分け隔てなくみんなに優しい。
4位.イスラエル
- 親日度:
イスラエルは日本を命の恩人として称える国です。常に周辺諸国と紛争状態にあるイスラエルですが、実は超がつくほどの親日国です。ユダヤ人は今でも日本に感謝しているそうで。
その昔「東洋のシンドラー」と呼ばれた日本人がいました。遡ること1939年、リトアニアに杉原千畝という人物が赴任します。当時、彼は外交官として現地に駐在することを命じられていたのですが、翌年の1940年に第二次世界大戦が勃発、ソビエトのリトアニア併合が決定します。これにより彼は外務省より撤退を命じられ、領事館を閉鎖するために忙殺されていました。
そんな中、領事館を大量のユダヤ人が取り囲みます。当時、アドルフ・ヒトラー率いるナチスドイツがユダヤ人の迫害を強行……領事館を埋め尽くしたのはそんな侵略者から逃れてポーランドから流れてきたユダヤ人だったのです。彼らはソビエト経由で日本に渡り、第三国に逃れようとしていました。それを聞いた杉原千畝は難民を放っておけず、ビザ発行禁止の命令に背き通称“命のビザ”を発給し始めます。その間実に約1ヶ月、不眠不休で発行したビザは2,000枚、救われた命は6,000人にも及んだとか。
さらに、ユダヤ人から英雄と崇められる日本人がもう1人います。それがハルビン特務機関長の樋口季一郎です。彼は同じくナチスドイツから逃げてきたユダヤ人を無償で輸送し、数万人以上の命を救ったとされています。
かの2人の勇敢な日本人を知らぬユダヤ人はいません。イスラエルには杉原千畝の名を冠する通りが作られ、大戦中ユダヤ人を救った人に与えられる「ヤド・ヴァシェム賞」も贈られています。樋口季一郎の名も同国の首都エルサレムにあるゴールデンブックに「偉大なる人道主義者ゼネラル・ヒグチ」として刻まれています。
これはイスラエルが日本人を建国の功労者として認めてくれたと言っても過言ではありません。
日本人として誇らしいと口にするのがおこがましいくらい……両名は日本人の誇り。
目の前に救える命があるなら、きっと救う方を選んだ方が後悔しないと思ったんだろうね。
5位.ポーランド
- 親日度:
ポーランドはバルト海を望む東欧の国です。かのスピリタス(アルコール度数96%のお酒)が生まれたのもこの国です。そんなポーランドは東欧で一番の親日国とされます。
もともとポーランドはロシア・ドイツ・オーストリアという強国に翻弄されてきた国で、18世紀後半には国家消滅の危機に瀕したほどでした。そこに拍車をかけるように立ち塞がったのが帝政ロシアです。
時代は20世紀前半、帝政ロシアの圧政によりポーランドは苦境に立たされます。しかし、ある一報が世界に衝撃を与えます。それが「東洋の小国が大国に勝利した」という知らせでした。その東洋の小国こそまさに日本だったのです。誰もが一方的に蹂躙されるだけだと思った日露戦争も蓋を開けてみれば極東日本の辛勝、世紀の大番狂わせは世界を激震させるのに十分でした。
鬼気迫る戦いっぷりに魅せられたポーランドもいつからか日本を英雄視するように……それが今日の親日感情を育む土台となったわけです。
さらに第一次世界大戦に揺れる1914年、ドイツ軍とロシア軍の戦場となったポーランドでは難民の餓死・病死・凍死が大量発生するという惨劇が発生します。それを目の当たりにした日本はポーランドの人々を救助し、戦争孤児も保護したとされています。それが両国の絆となり、日本が1995年に阪神淡路大震災に見舞われた際には被災した子供たちをポーランドに招待してバラの花を渡してくれました。
世界への扉を開いたばかりで当時の強国に勝ってしまうなんて。
世界中の覇権国家が「極東にとんでもねぇ国が現れやがった」って震えたに違いない。
6位.フィンランド
- 親日度:
フィンランドはオーロラやサウナなど美しさと逞しさが溶け合う北欧の国です。かのサンタクロースが生まれたのもこの国です。そんなフィンランドも北欧で一番の親日国とされます。
フィンランドが親日になった背景にも日露戦争が関係しています。この時代の帝政ロシアは軍事大国、周辺諸国に圧力をかける帝国主義の鬼と化していました。ただ、そんな帝政ロシアの恐ろしさを知らぬ和の国はあろうことか日露戦争に勝利してしまいます。その衝撃は北欧にも響き渡りました。
それを聞いたフィンランドは狂喜乱舞……帝政ロシアが誇るバルチック艦隊を撃破したというのだから驚きを隠せません。当時、世界最高戦力の一角であるバルチック艦隊を沈めた東郷平八郎は一躍時の人となるほどでした。
その後、ロシアからの独立を望むフィンランドを日本が支援したことでさらに親日感情が芽生えるようになったわけです。
それだけでなく、独立して間もないフィンランドがスウェーデンとの領土問題を抱えた際にも日本が仲裁に入りました。その際、国際連盟事務次長だった新渡戸稲造が問題を平和的に解決、それ以降フィンランドは北欧でも指折りの親日国となりました。
逆に日露戦争で負けていたら状況はまるっきり変わっていたかも。
きっとサンタクロースがはるばる極東にまで来てくれることもなかったはず。
7位.タイ
- 親日度:
タイは空前の日本ブームが到来している国です。現地の熱気をさらに滾らせるほど、日本に惹かれる人が急増中……純粋な親日度だけならタイが東南アジア一の親日国かもしれません。
その交流は17世紀頃、アユタヤ王朝時代まで遡ります。当時、現地に渡った日本人は各所に日本人町を形成し、タイ人との交流を徐々に深めていったそうです。そんな中、頭目の1人だった山田長政はタイ王女との結婚を認められるという異例の快挙を成し遂げたのだとか。
時代は変わって20世紀初期の太平洋戦争時代、日本の同盟国として戦ってくれたのが他ならぬタイでした。一時は別々の道を歩むも国交を回復してからは良好な関係が続いており、教科書でも「日本=アジアを侵略した国」ではなく「日本=戦後に発展した国」と教えてくれているのだとか。
1970年代~1980年代に日本が高度経済成長期に入るとさらにタイとの関係も深まり、バブル崩壊後の1997年に起こったアジア通貨危機も一緒に乗り越えてきました。東日本大震災の際もすぐに義援金や物資を送ってくれ、貧しい人も進んで寄付をしてくれたそうです。同年、タイの大規模洪水の際には日本からも義援金と物資が届けられました。
まさに日本とタイは一緒に危機を乗り越えてきた国なのです。現代では日本のサブカルも爆発的なムーブメントを巻き起こし、オタク文化に魅了される人も少なくありません。逆にタイにはムフフな雰囲気漂う日本人街も多く、両国の関係はより一層熱く溶け合いそうです。
タイの田舎町にはピカチュウまでいる。どこまでもサブカルが浸透中。
おそらく許可取ってないだろうけど親日国だからご愛敬……ってなるかぁ!笑
8位.インド
- 親日度:
インドは人口爆発中の南アジアの国です。多民族国家だけに親日反日十人十色ですが、歴代の親日派首相の影響なのか総じて親日的な国となっています。
時は1914年~1915年、インドはイギリスからの独立を目指していました。そんな中、インド人独立運動家のビハリ・ボースが日本に亡命、東京のパン屋「新宿中村屋」を営む相馬夫婦が匿うことになったそうです。ただ、当時の日本はイギリスと日英同盟を締結中、独立を目論むインド人を匿うなど言語道断でした。それでも相馬夫婦は彼をかばい続けたとされます。その後、彼はなくなったものの弟のチャンドラ・ボースが遺志を継ぎ、1947年に悲願の独立を果たしました。
一方、日本も1946年~1947年に開かれた極東国際軍事裁判でインドに救われることになります。当時、日本は第二次世界大戦の敗戦国として国際裁判にかけられていました。この裁判では連合国から派遣された11名の判事が東条英機元首相ら約28名をA級戦犯として満場一致で有罪判決を下そうとしていました。しかし、インドのラダ・ビノード・パール判事だけは「平和に対する罪と人道に対する罪は戦勝国により作られた事後法であり、事後法をもって裁くことは国際法に反する」と被告人全員の無罪を主張してくれたのです。
まさにインドは日本にとっての大恩人と言えるでしょう。現代でもインドの高速鉄道に日本の新幹線が採用されたり、両国が連携して中国を牽制したり……単なる友好国の枠を超えた存在となっています。
昭和天皇が崩御した際には国葬を大々的に行ってくれたこともあるそうな。
毎年8月6日、原爆が落とされた日には国を挙げて黙祷もしてくれてるよ。
9位.インドネシア
- 親日度:
インドネシアは日本を身近に感じてくれている島国の1つで、現地ではオタク文化が大流行中です。実際にインドネシアは日本を一番好きな国として挙げてくれるほどの親日国です。
もともとインドネシアはオランダの支配下にあり、約350年にわたって統治されていました。その独立を支援したのが日本です。
時は1942年、太平洋戦争中の日本はインドネシアに常駐するオランダ軍を制圧、現地を占拠するも植民地化せず逆に独立の準備を進めさせました。しかし、1945年に日本は敗北、再びオランダの魔の手が迫ります。その際、現地人と一緒に戦ったのが旧日本軍でした。当時、旧日本軍は連合軍から治安維持と武器管理を任されたものの、それを逆手に横流しするという暴挙に出ます。そして、上陸する連合軍を夜襲・撃破してしまうのです。
その結果、インドネシア人は約80万人、日本人は約1,000人という多くの死傷者を出したものの1949年に無事独立を果たすのでした。この反乱は大東亜共栄圏構想を目論む日本の戦略でもあったとされますが、結果的に他国の独立のために命を犠牲にした旧日本軍の勇姿に心を打たれた人も少なくありません。
それが今日の親日感情に繋がっています。
混迷の1900年代、日本はアジア解放のために動いたという見方もあるとか。
何らかの思惑はあったにせよ、欧米列強から独立できたのは日本のおかげだと思ってくれている国もあるみたい。
10位.マレーシア
- 親日度:
マレーシアは日本を見習ってくれている島国の1つです。親日というよりは日本に対して羨望の眼差しを向けてくれる国、それがマレーシアです。
東南アジアで著しい成長を遂げるマレーシアが日本を意識するようになったのは1981年のこと、親日家のマハティール・ビン・モハマド首相が打ち出したルックイースト政策が影響しています。当時の日本は第二次世界大戦で大敗したにもかかわらず、高度経済成長期を経て東洋一の経済大国に上り詰めていました。その姿にマレーシアは「日本こそアジアで唯一欧米列強に立ち向かえる国だ」と実感したとか。
その後、政策の影響もあって親日感情も膨らんでいくことに……実際にマレーシアは日本を手本として成長し、海外進出する会社や企業にも相乗効果が生まれました。1997年のアジア通貨危機の際には日本がマレーシアに資金提供を行ったことで金融危機を脱するなど、両国の関係はさらに親密なものとなっています。
昨今の日本の経済成長率は褒められたものではないかもしれません。しかし、その背中を追いかけてくれている国もあります。それこそがマレーシアという国なのです。
親日のリーダーがいるだけで国全体が親日ムードになることもある。
結局、国同士の好感度は時代によって変わるものなのかもしれない。
11位.ベトナム
- 親日度:
ベトナムは日本を兄と慕う国の1つです。今では訪日外国人の数割をベトナム人が占め、労働者や観光客の往来も目立ちます。そんなベトナムと日本には長い物語があります。
もともとベトナムはフランスの支配下にあり、水面下で独立運動が進められていました。そんな中、革命家のファン・ボイ・チャウが日本を訪れ、浅羽左喜太郎と出会います。そこで多額の資金を得たことで、革命計画がより盤石なものとなったとされています。その後、太平洋戦争終結後にはベトナム独立を残留日本兵が援護するなど、両国は独立を通じて親睦を深めてきたわけです。
冷戦時代には同盟国のアメリカの目もあってベトナムとは疎遠になってしまうものの、冷戦終結後は大掛かりな開発援助も実施しています。その影響でベトナムは発展し、経済大国の日本を慕うようになったとされています。
近年は東南アジア諸国の留学先として日本が選ばれることも少なくないとか。
コンビニで研修生を見かけることも多くなったよね。まさに大グローバル時代。
12位.フィリピン
- 親日度:
フィリピンは日本とともに歩んでくれる国の1つで、中には日本人男性と家庭を築くフィリピン人女性もいるほどです。実際に日本人とフィリピン人は相性が良いとされ、両国の国際関係も良好です。
かつて、日本は太平洋戦争時にフィリピンを占領していました。そのため、現地の人はむしろ反日的だったと言えます。しかし、継続的な開発援助により印象が変化し、親日傾向に向かったとされています。
かの破天荒な指導者として知られるロドリゴ・ロア・ドゥテルテ大統領も大の親日家です。彼自身「日本は長年の信頼できる友人です」と語るほどで「中国との領土問題では必ず味方に立つと約束します」と明言してくれています。その真意は不明であるものの、地政学上で日本と似た境遇にあるフィリピンが味方についてくれるのは頼もしい限りです。
フィリピンは夜の繁華街や歓楽街で働いている人の印象が強いかも。
キャバレーやクラブ、スナックやパブ、ラウンジで働くフィリピン人と仲良くなって交際・結婚する日本人もいるね。
13位.アルゼンチン
- 親日度:
アルゼンチンは日本を幾度となく救ってくれた国です。世界には日本が支援した国が無数にありますが、逆にアルゼンチンは日本のピンチを何度も助けてくれた国なのです。
日露戦争開戦前、日本は一世一代の大勝負に向けて軍艦の手配に奔走していました。しかし、交渉決裂の連続でどの国も譲渡してくれません。そんな中、アルゼンチンだけは2隻の戦艦を譲ってくれたのです。その軍艦があったからこそバルチック艦隊を迎撃できたと言っても過言ではありません。まさにアルゼンチンは日露戦争の大恩人なのです。
また、第二次世界大戦で四面楚歌となった日本に対し、アルゼンチンは中立の立場を貫いてくれた国でもあります。当時、日本は世界を相手に孤軍奮闘、孤立無援の状況でした。しかし、アルゼンチンはアメリカの参戦要求を蹴り、対日参戦を拒み続けてくれたのです。それどころか、敗戦で物資不足に陥った日本に対して大量の物資を譲ってくれました。
まさにアルゼンチンは日本の大恩人、彼らがいなければ日本という国は存続できていなかったかもしれません。
地球が丸くて良かった。どんなに離れても裏側には心強い味方がいてくれる。
いつの時代もどの場所にも、味方になってくれる国はあるのかもしれないね。
14位.ブラジル
- 親日度:
ブラジルは日本のいとこのような存在の国です。日系移民が世界一多い国として知られ、現地では日本を称賛する声もよく耳にします。現地のエリートの中には日系移民の子孫も少なくありません。
かつてブラジルは奴隷制度の廃止を受け、深刻な人手不足に陥っていました。そこで他国からの大規模な移民受け入れが行われ、数百人~数千人規模の日本人が新天地を求めてブラジルへと旅立ちました。しかし、そこは欧米人が治めていた南米、差別意識の根強い劣悪な環境でした。それでも日本人は決してめげず、現地の農業や商業に貢献したそうです。
その結果、次第にブラジルでは日本人を認める声が広まり始め、日系社会は世界に類を見ないスケールへと発展していきます。最終的にはそれが親日感情の基盤となっていきました。
そして、リオデジャネイロでオリンピックが開催された2016年、その開会式にて日系移民をテーマにした演舞が披露されます。日付にして8月6日午前8時、これは日本に原爆が落とされた時刻でした。この演出を考えたブラジル人映画監督のフェルナンド・メイレレスは次のように語っています。「ブラジルから平和のメッセージを届けたかった」のだと。
リオ五輪では日本人選手を応援してくれるブラジル人もいっぱいいたそうな。
そこは地球の裏側、どんなに離れていても気持ちは1つ。
15位.アメリカ
- 親日度:
アメリカは日本とともに世界を牽引する相棒的存在の国です。多種多様な人種がいるので日本が好きな人もいれば嫌いな人もいるものの、開国以来ずっと付き合ってきた国です。
正直なところ日米関係は親密になったり疎遠になったり、友好を深めたり敵対を深めたり、紆余曲折な歴史があります。マシュー・カルブレース・ペリーが黒船で来航したあの日から、そんな腐れ縁が100年以上も続いています。
ただ、アメリカは同盟国ということもあって日本が受けた恩恵も数知れず。東日本大震災の際には数十億円単位で義援金を贈ってくれただけでなく、現場での災害救助・復興支援にも協力してくれました。ちなみに被災地での活動は「トモダチ作戦」と命名され、改めて日米の友好を世界に証明してくれたと言えます。
かつてアメリカは「日本=宣戦布告もせずに騙し討ちをした国」として、日本は「アメリカ=原爆を落とした国」として対立しました。その負の感情が完全に消滅したわけではありません。しかし、数々の争いを通じて生まれた絆もあります。今ではアメリカほど頼りになる友好国は他にありません。
アメリカと日本はまさにジャイアンとのび太の関係。
喧嘩もするけど、窮地では助け合える世界最強のパートナー。
16位.カナダ
- 親日度:
カナダは日本が国際社会に参加することを後押ししてくれた国です。日本からは移民だけでなく留学や出張などで渡航する人もいるなど、我が国との関係も非常に良好な国です。
そもそもカナダは多文化共生社会であり多民族国家でもあります。そのため、日本人に対しても寛容です。実際にカナダの人々は誰に対しても優しさに溢れており、全身から人柄の良さが感じ取れます。それだけでなく、日本人であれば絶対に知っておきたい出来事がいくつかあります。
それは第二次大戦後でのこと、歴史の授業でも習うように日本は連合国に完膚なきまでに叩きのめされてしまいます。当然、本来であれば世界から孤立してしまってもおかしくはありません。ただ、カナダは日本が国際社会へ復帰できるよう支援してくれたのです。
例えば、GATTと呼ばれる関税貿易一般協定への加盟を後押しし、最恵国待遇で迎えてくれた数少ない国の1つでもあります。それだけでなく1956年の国連加盟、1963年のOECD加盟の際もカナダは日本を推薦してくれています。このように数多くの救いの手を差し伸べてくれたのがカナダなのです。
カナダの人々はとにもかくにも優しいオーラ全開。
無数の人種がいるからこそ視野が広い国なのかも。自然が溢れてるのも好き。
17位.パキスタン
- 親日度:
パキスタンは日本製品が大好きな南アジアの国で、比較的好意的な親日国です。常に地域紛争を抱えているこの国も日本に対しては友好的です。現地ではあちこちで日本車を見かけ、新車の日本車率も9割を超えるとか。
そんな両国の関係は第二次世界大戦中に深まったとされています。この時代、繊維産業に注力していた日本はパキスタンから綿花の輸入を開始します。その綿花の輸出によって現地は潤い、日本はさらなる開発援助を実行しました。その結果としてパキスタンは発展、今日の人口拡大に繋がったとされています。
何より日本車などジャパンブランドに憧れるパキスタン人は未だ多く、日本製品を手本としてくれている人も少なくありません。
確かにパキスタンの人々はすごく親日的だった気がする。
旅先で出会ったパキスタン人から握手を求められることもあったもんね。
18位.ウズベキスタン
- 親日度:
ウズベキスタンも日本からすると紛争多発地帯に見える国です。ただ、この国は中央アジアでも相当日本が好きな国と言えます。現地では記念撮影まで求められるくらいです。
そんなウズベキスタンとの交流は太平洋戦争終結後から続いています。当時、大敗を喫した旧日本兵はシベリア抑留により、ソビエトで強制労働に従事させられていました。そのシベリア抑留者の一部がウズベキスタンに連行され、首都タシケントでナヴォイ劇場を建造する事業に割り当てられたのです。
現地は想像を絶する極寒……長時間労働により命を落とす人まで出る始末でした。しかし、それでも日本人は持ち前の職人魂で大幅に工期を短縮し、見事にナヴォイ劇場を完成させます。その仕事ぶりを目の当たりにしたウズベキスタンの人々は日本人に対して大変感服したそうな。
その約18年後、ウズベキスタンで震度8という巨大地震が発生します。ナヴォイ劇場のあるタシケントも甚大な被害を受け、建物の大部分が倒壊、都市機能が麻痺するほど荒廃した土地と化してしまいました。ただ、日本人が建設したナヴォイ劇場だけは無傷のまま残っていたのだとか。
それを機に現地の人々は力を合わせ、シベリア抑留で亡くなった方のために墓標を立ててくれました。もちろん、ソビエトは「墓など潰せ」と命令しましたが、ウズベキスタンは「敬愛する日本人の墓石は壊せない」と守り抜いてくれたそうです。
日本が手掛けたナヴォイ劇場とウズベキスタンが造成した墓地の話、泣けるよ。
当時のソ連の命令を無視するなんて、タシケントの人々は勇敢だったんだね。
19位.モンゴル
- 親日度:
モンゴルは大物力士が集う相撲大国兼親日国です。中には日本で流暢な日本語を習得し、横綱や大関として活躍している現役の選手もいるくらいです。
そんなモンゴルとは相撲だけでなく開発援助などで交流があり、実は社会主義国家時代からの付き合いがあります。特に日本の助力で生まれたカシミヤ工場は両国の友好の証であり、近年は現地に眠る豊富な地下資源にも注目が集まっています。
ちなみに、東日本大震災の際には国家公務員全員が1日分の給料を寄付してくれるという前代未聞の支援も話題になりました。全員が納得の上だったのかどうかはわかりませんが、国を挙げて義援金を集めてくれたというのはありがたい限りです。
モンゴル人と日本人はどことなく顔つきも似ていて妙な親近感があるかも。
先祖の影響じゃないかって考えられてるみたい。極論を言えば親戚さ!笑
20位.フランス
- 親日度:
フランスはヨーロッパで随一の親日国と言われるほど、日本独自の文化にリスペクトを持つ国です。単に日本人が好きというより日本というジャンルが好きというイメージです。
そんなフランスとの交流は幕末期から続いています。当時、日本からフランスには陶器や漆器を送っており、緩衝材として国内の新聞紙も一緒に詰め込んでいました。その後、何気なく新聞紙を開いたフランス人芸術家のフェリックス・ブラックモンは驚きました……そこには今まで見たこともない絵が描かれていたのです。それこそが後に世界に名を知らしめる葛飾北斎の浮世絵だったのだとか。
そこからフランスでは徐々に日本文化に対するリスペクトが高まったとされています。
昨今は和食への関心はもちろんサブカルへの理解も深まっており、現地ではコミックやコスプレのイベントも開催されています。日本のオタク文化がこれほど馴染んでいる西洋の国はフランスだけと言っても過言ではありません。
美的センスなど独自の感性を持つフランス人と日本人はどこか通ずるものがあったりなかったり。
日本を代表するジブリ映画はフランスでも有名ですごく人気があるとか。
3.その他の親日国
最後にその他の親日国をピックアップします。
その他の国は日本との親交があるかどうか、印象深い逸話があるかどうかも含めて判断しています。
- アフガニスタン
- カザフスタン
- カンボジア
- キルギス
- シンガポール
- タジキスタン
- ネパール
- バングラデシュ
- ブータン
- ブルネイ
- ミャンマー
- モルディブ
アジアではカンボジアやシンガポール、ネパールやバングラデシュなどが比較的親日です。日本は東南アジアや中央アジアを中心とする後進国(発展途上国)へのボランティアやODAを活発に行っていることもあり、普段から頼りにしてくれている国もあります。
- オーストラリア
- トンガ
- ニュージーランド
- パプアニューギニア
オセアニアではオーストラリアやニュージーランドが比較的親日です。日本はポリネシアやミクロネシア、メラネシアを中心とする先進国との交流を頻繁に行っていることもあり、特別な思い入れを持ってくれている国もあります。
- エルサルバドル
- キューバ
- チリ
- ドミニカ
- パラグアイ
- ペルー
- メキシコ
中南米ではペルーやメキシコが比較的親日です。現地は日系移民の影響を受けた2世・3世だけでなく日系人が残した学校や病院も多く、日本人に好意的な人も少なくありません。
- イギリス
- イタリア
- オランダ
- 北マケドニア
- スペイン
- セルビア
- ハンガリー
- ベルギー
ヨーロッパではイギリスやイタリア、オランダやスペインが比較的親日です。日本は東ヨーロッパや西ヨーロッパ、南ヨーロッパや北ヨーロッパを中心とする先進国との交流を頻繁に行っていることもあり、特別な思い入れを持ってくれている国もあります。
- アゼルバイジャン
- アラブ
- イラン
- オマーン
- カタール
- サウジアラビア
中東ではアラブやサウジアラビアが比較的親日です。現地は日本製品の影響を受けた国民だけでなく日本を舞台にした作品も多く、日本人に好意的な人も少なくありません。
- アルジェリア
- ウガンダ
- エジプト
- エチオピア
- ガーナ
- ギニア
- ジブチ
- 赤道ギニア
- ベナン
- 南アフリカ
- モロッコ
- ルワンダ
アフリカではエジプトやエチオピア、南アフリカやモロッコなどが比較的親日です。日本は東アフリカや西アフリカ、南アフリカや北アフリカを中心とする後進国(発展途上国)へのボランティアやODAを活発に行っていることもあり、普段から頼りにしてくれている国もあります。
他にも親日国はあるんだね!
親日かどうかは人によるけれど、日本人の往来する観光地ほど親しみやすい傾向にあるよ!
4.まとめ
今回は世界の親日国ランキング、日本好きな友好国となった感動の理由とエピソードをまとめました。
親日国は台湾やトルコやパラオだけでなく、世界中にたくさん存在します。その手の国々と日本の間には目頭の熱くなる物語が存在し、ある国は大国を破った小国として、ある国は独立や解放に貢献した人道的国家として、ある国は戦争や災害から復興した模範として、ある国はサブカルの聖地として愛してくれています。
現代には「日本なんて……」という言葉も溢れていますが、世界から見るとまだまだ日本も捨てたものではありません。かつてはアジアで唯一欧米列強に立ち向かえる存在として名を馳せた国、その侍魂や武士道は決して燃え尽きることはありません。この世に日本を好きでいてくれる国がある限り。