山口で生まれ激動の時代を生きた吉田松陰、そのゆかりの地とされるのが松陰神社です。松下村塾や幽囚ノ旧宅が現存する境内は動乱の幕末を導いた偉人の面影を色濃く残し、日本の未来を切り開いた聖地として崇められています。そこは混迷に揺れる和の国の指導者を祀る観光スポットです。
今回は山口にある松陰神社の観光情報をまとめます。ここでは概要・予算・時間・場所・気候・服装・治安・注意点の他、実際に訪れた管理人が厳選した見どころも紹介します。記事の最後には体験談もあるので、ぜひ国内旅行の計画にお役立てください。
松陰神社は激動の幕末を駆け抜けた吉田松陰ゆかりの地!
この記事では「山口にある松陰神社の観光情報」「松下村塾や幽囚ノ旧宅や本殿の見どころ」をまとめるよ!
1.松陰神社の概要
まずは松陰神社の概要を見ていきましょう。
- 国:山口
- 地域:萩
- 特徴:世界遺産/神社
- 目玉:松下村塾/幽囚ノ旧宅/本殿
- 方法:個人/ツアー
- おすすめ度:
松陰神社は「自立学習の祖」とされる吉田松陰にまつわる神社で、明治維新の礎を築いた人物を多数輩出した松下村塾で知られる神社です。絶望と希望が混在した幕末、その時代にうねりを生んだこの場所はまさに日本の未来を創った観光スポットと言えるでしょう。
境内には学問の神として崇められる御祭神が祀られている他、大鳥居や本殿なども残されています。他にも吉田松陰が教鞭を執った松下村塾や投獄生活を送った幽囚ノ旧宅など、彼がいかにして教育者の鑑となったのか……その軌跡を追体験できる幕末の聖地となっています。
その創建は1890年のこと、彼の実兄に当たる杉民治が実家の邸内に土蔵造りの小祠を建て、松陰が愛用した赤間硯と書簡を御神体として祀ったのが始まりです。その後の1907年、伊藤博文と野村靖が中心となって神社創建を請願、萩城内にあった宮崎八幡の拝殿を移築して本殿としたことで正式に神社として認められたとされています。
2009年には九州・山口の近代化産業遺産群として世界遺産暫定リストに掲載され、2015年には明治日本の産業革命遺産として世界遺産に登録されています。
山口を訪れるなら松陰神社は外せないね!
山口を拠点にするなら個人で行くのもツアーで行くのもおすすめだよ!
2.松陰神社の観光情報
次に松陰神社の観光情報を見ていきましょう。
2-1.予算
- 個人:数千円~1万円
- ツアー:1万円~3万円
- 予算総額:3万円~5万円
個人は自分での手配、ツアーは旅行会社での代行、予算総額は山口旅行全体(移動費・宿泊費・飲食費・観光費)にかかる目安となります。入場料・拝観料はかかりません。
2-2.時間
- 営業時間:
⇒神社開門:7時00分~17時00分
⇒お守り/お神札受付:9時00分~17時00分
⇒ご祈祷/お祓い受付:9時00分~15時30分 - 所要時間:1時間~2時間
- 必要期間:3日~5日
営業時間は開店から閉店、所要時間は到着から出発、必要期間は出国から帰国までにかかる目安となります。
2-3.場所
- 場所:山口/萩
- 住所:山口県萩市
- 行き方:バス/タクシー/レンタカー/徒歩/ツアー
- バス:1時間30分~2時間
- タクシー:30分~1時間
- レンタカー:30分~1時間
- バス:10分~20分
- タクシー:5分~10分
- レンタカー:5分~10分
- 徒歩:20分~30分
場所と住所は所在地の目安となります。行き方は「山口⇒松陰神社」への一例であり、他の方法でもアクセスできます。直接向かうなら現地発着のツアーがおすすめです。
2-4.気候
- 1月~3月:寒くてやや晴れやすい気候
- 4月~6月:やや暑くてやや雨が降りやすい気候
- 7月~9月:暑くて雨が降りやすい気候
- 10月~12月:やや寒くて晴れやすい気候
- ベストシーズン:5月~7月/9月~10月
平均 | 最高気温 | 最低気温 | 降水量 |
1月 | 9℃ | -1℃ | 70mm |
2月 | 10℃ | 0℃ | 95mm |
3月 | 14℃ | 2℃ | 135mm |
4月 | 20℃ | 7℃ | 190mm |
5月 | 24℃ | 12℃ | 180mm |
6月 | 27℃ | 18℃ | 290mm |
7月 | 31℃ | 22℃ | 315mm |
8月 | 32℃ | 23℃ | 180mm |
9月 | 28℃ | 18℃ | 180mm |
10月 | 23℃ | 12℃ | 95mm |
11月 | 17℃ | 6℃ | 80mm |
12月 | 12℃ | 1℃ | 70mm |
2-5.服装
- 1月~3月:厚手の服装
- 4月~6月:体温調節できる服装
- 7月~9月:薄手の服装
- 10月~12月:体温調節できる服装
- 持ち物:歩きやすい靴
2-6.治安
- 良い
山口は総じて治安が良く、旅の拠点となる山口も治安良好です。
2-7.注意点
- 事前の勉強
- 宗教関連の戒律
2-7-1.事前の勉強
松陰神社は事前に勉強しないと魅力が半減してしまうかもしれません。逆に神道に関する情報を頭に入れておくことで社寺に秘められたドラマも見えてくるため、背景を学んでから訪れてみてください。
2-7-2.宗教関連の戒律
松陰神社は神道神社であり宗教関連の戒律が定められているので、見学の際は最低限の礼儀や作法を守らなければなりません。敬虔な信者の方への配慮も忘れずに。
観光情報は変更となる場合があることを加味しておきたいね。
Googleマップの口コミを参考にするのもおすすめかも!
3.松陰神社の見どころ
ここからは松陰神社の見どころをまとめます。
3-1.松陰食堂
おすすめ度:
松陰だんごが名物の食堂。
3-2.大鳥居
おすすめ度:
学問の扉を開く大鳥居。
3-3.松下村塾
おすすめ度:
幕末の英傑を育てた私塾。
3-4.幽囚ノ旧宅
おすすめ度:
吉田松陰が暮らした旧宅。
3-5.本殿
おすすめ度:
自立学習の祖を祀る本殿。
3-6.松門神社
おすすめ度:
塾生・門下生を祀る神社。
松陰神社は松陰食堂や大鳥居、松下村塾や幽囚ノ旧宅、本殿や松門神社など見どころ満載です。
境内にある松陰食堂は名物“松陰だんご”で知られ、大鳥居を抜けると松下村塾や幽囚ノ旧宅が見えてきます。最深部には本殿や松門神社も鎮座するなど、境内は吉田松陰一色です。
特に松下村塾には久坂玄瑞や高杉晋作、伊藤博文や野村靖、木戸孝允など日本を代表する偉人が在籍しており、明治維新を語る上で欠かせない場所とされます。幕末志士の総元締の役割を果たした久坂玄瑞、奇兵隊創設や倒幕運動に生涯を捧げた高杉晋作、初代内閣総理大臣の伊藤博文、政治家の野村靖、大久保利通や西郷隆盛とともに「維新の三傑」に数えられる木戸孝允など……現代日本は松下村塾から始まったと言っても過言ではありません!
中でも久坂玄瑞と高杉晋作は「才の久坂・識の高杉」と称され「松下村塾の双璧」と呼ばれます。そこに吉田稔麿を加えて「松陰門下の三秀」、入江九一を加えて「松下村塾の四天王」とされるなど、松下村塾から幕末の英雄が次々と誕生したことでも著名です。
境内には他にも宝物殿や至誠館、立志殿や歴史館、学びの道や花月楼などの名所もあります。学びの道には吉田松陰の名言を記した25本の石碑も置かれるなど、見どころは尽きません。
松陰神社では松陰食堂と大鳥居、松下村塾と幽囚ノ旧宅、本殿と松門神社が目玉!
個人的には日本の命運を分かつ原動力となった松下村塾がおすすめ!
4.松陰神社の体験談
最後に管理人が2022年9月に訪れた松陰神社の体験談を記しておきます。等身大の国内旅行記としてお楽しみください。
松陰神社の境内にある松陰食堂に到着。下関から萩までずっと車で走ってきたからお腹ペコペコ。
まずは腹ごしらえ。松陰食堂は松陰だんごが名物とか。
炭火で焼いた米粉団子に自家製柚子味噌を塗った自慢の一品か……よし、ここはカレーにしよう!
いや、カレーかい!せめて松陰うどんとか松陰そばとか、松陰神社にまつわるものを食べなよ。
メニューにカレーがあれば他に選択肢なし。自分の信念を貫くことにこそ幕末志士の流儀あり。
幕末志士のみなさん、うちのポンコツ浪人がごめんなさい。でも、確かに銀の皿のカレー……超美味しそう。
店内には吉田松陰をはじめとする明治維新の英傑がずらり。
歴史の授業で習ったあんな人やこんな人まで、松陰食堂は偉人が一堂に会する食堂と言えるね。
……さて、腹ごしらえも済んだし境内を回るとしようか。
いよいよ、松陰先生が駆け抜けた幕末の軌跡を追うってわけだね。
見えてきたのは灰色の大鳥居。
雨の神社ってのも風情があって素敵。
ここがかの吉田松陰を祀る神社か……感慨深い。
教科書ではさらっとしか教わらないけど、彼ほど日本の未来に貢献した人はいないんじゃないかな。
明治維新で活躍した幕末志士に多大な影響を与えた人だもんね。
彼がいなかったら今の日本は腐敗した幕府の手によって牛耳られていたかもしれない。
参道の脇にあるのがこの社務所。そこを抜けると松下村塾。
松陰先生と松下村塾は一緒に教わることがほとんどだけど、実は彼自身とんでもない経歴の持ち主なんだよね。
そうそう。9歳で明倫館の兵学師範に就任したり、11歳で藩主へ御前講義したり。
13歳で長州軍を率いて西洋艦隊撃滅演習を実施したり、15歳で長沼流兵学を修了したり。
子供の頃から畑仕事をしながら四書五経を素読したり、兄弟に読書を推奨したり。
まさに「自立学習の祖」という異名に恥じない行動っぷり。
その後も旅行で脱藩したり、日本中を遊学したり、逆に江戸では士籍剥奪・世禄没収の処分を受けたり。
本当に破天荒な人だけど、やることなすこと全部突き抜けててかっこいい。
そして来る1853年、ペリーが浦賀に来航。彼は師の佐久間象山と黒船を目の当たりにして西洋の先進文明に衝撃を受けたとか。
その師の勧めもあって海外留学を決意。ただ、長崎に寄港していたプチャーチンのロシア軍艦に乗り込もうとするも失敗。
翌年の1854年、日米和親条約締結のため再航したアメリカ艦隊のポーハタン号に小舟で漕ぎ寄せるもまた失敗。
この時、彼は24歳。盗んだ漁船で泳ぎ出す24の夜……もしかしたら彼は尾崎豊さんにも影響を与えてるかも!笑
結局、渡航を拒否され小舟も流され、万事休すで下田奉行所に自首。一時は伝馬町牢屋敷に投獄されたとか。
そこから長州へ移送され、野山獄に幽囚されたみたい。
その後、彼が幽閉されたのは実家の杉家。その禁固中に武教全書の講義を開始。
そこで叔父から受け継いだのが、この松下村塾だったってわけ。
彼が歩いた学問の道、そのすべてが今ここに繋がる。
そして、好奇心の鬼こと松陰先生は後の明治維新のキーマンを育てることに……ただ、その事実を彼は知らない。
当時、松下村塾では一方的な勉学ではなく一緒に意見を交わしたり、登山や水泳まで行ったりしていたらしいよ。
まさに「生きた学問」だったんだね。ただ、日本の将来を思うあまり欧米列強への危機感は相当強かったようで。
幕府が締結した日米修好通商条約に憤怒したり、幕府自体が日本最大の障害になっていると批判したり。
最終的には安政の大獄で罪人として捕縛され老中暗殺計画を自ら告白……最期は死刑宣告を受け、享年29歳で逝去。
きっと彼の人生は「激動」という言葉では片付けられないほど、目まぐるしいものだったに違いない。
ただ、そんな熱き志を受け継いだ塾生・門下生が後々の日本を変える明治維新を支えたことは言わずもがな。
幕末の風雲児としては坂本龍馬が著名だけど、吉田松陰こそ真の革命児だったのかも。
どちらも日本の夜明けを信じた若者たち。現代にも彼らのような時代の寵児が必要……というのはまた別のお話。
幽囚ノ旧宅の奥にひっそりと佇むのがこちらの本堂。
松陰先生について深く知ったからなのか自然と背筋が伸びちゃう。
本堂の手前にはこちらの手水舎。
ここまで来るとよくある神社って感じかも。
開運招福の文字とともに描かれているのは野村靖。伊藤博文とともに松陰神社の創建に尽力した人。
こうして明治と令和を繋ぐ場所を作ってくれたことにはただただ感謝しかありませぬ。
さらにその奥には吉田松陰をはじめ数々の塾生・門下生を御祭神とする松門神社。
学問の神として崇敬を受ける場所だけに、全国のセンター試験を控えた受験生にぜひ訪れてもらいたいね!
最後に松陰みくじで運試ししてみたところまさかの大吉。これで受験生全員合格間違いなし。
ちなみに、この近くには松陰先生の名言を記した石碑が並ぶ学びの道もあるから1つ1つ胸に刻んで歩くべし。
◆
◆
◆
「志を立てるためには人と異なることを恐れてはならない」
「世俗の意見に惑わされてもいけない」
「死んだ後の業苦を思い煩うな」
「目先の安楽は一時しのぎと知れ」
「百年の時は一瞬に過ぎない」
「君たちはどうかいたずらに時を過ごすことなかれ」
「本当の誠実さを持ちながら行動を伴わない人はいない、本物の誠実さがあるというのであれば行動しなさい」
◆
◆
◆
……関門海峡の如く深い名言ばかり。この言葉全部、心の臓の奥深くに刻み込んでおきたいところ。
何より彼の生き方そのものが教科書と言えるんじゃないかな。
私たちも自らの頭で考え自らの足で歩いて行こう……松陰先生が命を賭して作ってくれたこの道を。
5.まとめ
今回は山口にある松陰神社の観光情報、松下村塾や幽囚ノ旧宅や本殿の見どころをまとめました。
国内旅行で山口を訪れるなら松陰神社がおすすめです。中でも松下村塾や幽囚ノ旧宅や本殿は見どころ満載なので、機会があればぜひ訪れてみてください。